序文


 毎年7月6日から14日までの9日間にわたってサン・フェルミン祭の開催されるパンプロナは、スペイン北西部に位置するナバーラ自治州の首都である。ピレネー山脈の裾野に広がるナバーラ平原の中心都市として古くから栄えたパンプロナの歴史は、紀元前にまでさかのぼることができる。
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 紀元前75年、古代ローマの武将ポンペイウスがこの地に軍事拠点を築いたことから街の歴史は始まった。そしてこのパンプロナという地名の由来となっているのもポンペイウスである。ポンペイウスがのちにポンパエロ、そしてパンプロナと時代とともに変化した。

 しかし私などは、ポンペイウスと聞くと彼の残した功績よりもまず、同時代を生きた英雄ユリウス・カエサルのことを思い出してしまう。

 クレオパトラと手を結び、シェークスピアをして 『 ジュリアス・シーザー 』 を書かしめ、自らも不朽の名作 『 ガリア戦記 』 を記したユリウス・カエサル。後世まで伝わる武勇と数多くの名言を残したカエサルはたまらなく魅力的な人物であるのだが、 パンプロナとの関わりは少ない。ここでは捨て置き、話をポンペイウスにもどそう。
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 交渉・統治能力においてカエサルに遠く及ばなかったものの、ローマ東方への領域拡大などに成功を収めたポンペイウスの軍事的才能は一級品であった。そのポンペイウスが何故、パンプロナに軍事拠点を置くことにしたのか? 市内を流れるアルガ川のほとりに立つと、その理由がよく分かる。

 ゆるやかに流れるアルガ川の川辺から、パンプロナの旧市街地に目をやるには、切り立った断崖の上を仰ぎ見なければならない。旧市街をふくむパンプロナ市の中心部は、現在でもテーブル状の台地の上にあるのだ。30〜40メートルほどの断崖を持った台地は、かつては天然の城となっていたわけだ。そして、台地の下に流れるアルガ川は堀の役目を果たしている。軍事基地としてこれほど最適な場所もそうはないだろう。

( ←旧市街のカテドラルとアルガ川 )
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 現在、かつて天然の要塞であった台地の上の旧市街から、アルガ川のほとりまで下る坂道はいくつかある。その中のひときわ勾配のキツイ坂道こそ、エンシエロのスタート地点となるサント・ドミンゴ坂だ。

 この坂道のちょうど中ほどに、牛追いのスタート地点となる闘牛たちの囲い場はある。コースはここから坂道を駆け上がり、旧市街を突っ切って、新市街との境にある闘牛場まで約850メートル。
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 エンシエロの行われる7月の早朝、サント・ドミンゴ坂は牛追いに参加する数百人のランナーで溢れかえる。

 言葉どおりのお祭り騒ぎに沸きかえる観衆とは違い、これから死に物狂いで走ろうというランナーたちは、やや緊張した面持ちでスタートを待つ。7時30分の集合時間からスタートとなる8時までには、半時間もの間(ま)がある。妙に長く感じられるこの時間、ランナーたちは自らの感情をコントロールしなければならない。あまりに昂ぶることなく、しかし緊張は切らさず。

 8時ちょうど、出走の合図となる花火が打ち上がり、エンシエロの始まりが告げられると同時に囲い場の扉が開かれ、漆黒の牛たちが弾かれたように通りへと踊り出す。

 この時のランナーの気持ちを、どう表現したものだろうか。

 先ほど無下に捨て置いたカエサルだが、彼の言葉にはこんなものもあった。

 「サイは投げられた」

 ただもう、走るのみなのだ。

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