祭りについて


● サン・フェルミンとザビエル ●
 祭りの名に冠されているサン・フェルミンとは、パンプロナの守護聖人である。 7世紀のはじめにパンプロナ地方へのキリスト教の伝播に貢献し、614年に殉教した後に、 パンプロナの守護聖人として崇められてきた。もっとも布教活動については、正確な記述も有力な証拠も残っておらず、 またこの地にキリスト教が広まったのは10世紀以降という話だ。

 正式にパンプロナの守護聖人として認められたのは、さらに遅れて17世紀 となる。当時のパンプロナ市議会が守護聖人として認定したわけだが、 その決定までの過程にはちょっと面白い話がある。
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 守護聖人を決定するまでに、パンプロナの議会は30年以上にもわたって紛糾した。 理由は、サン・フェルミンのほかにももう一人、守護聖人として相応しい有力な候補がいたからだ。 その有力な候補、サン・フェルミンの強力なライバルとなったのが、日本との ゆかりも深いフランシスコ・ザビエルだったのである。

 フランシスコ・ザビエル( 1506〜52 )は、パンプロナにほど近いハビエル村の城主の子として 生まれ育ち、日本での布教などの幅広い活動を行った後に殉教して、1622年にキリスト教の聖人 となった。この1622年から、パンプロナの守護聖人を誰にするかという 議論が始まったわけだ。

 30年以上にもおよぶ議論のすえ、古くから崇められているということで パンプロナの守護聖人はサン・フェルミンで落ち着き、いっぽうのザビエル はナバラ州の守護聖人となった(正確にはザビエルもパンプロナの守護聖人であるが、 祭りなどの行事ではサン・フェルミンが優先される)。
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 もしザビエルが正式な守護聖人とされていたら、「ザビエル祭」(同名の祭りが 毎年8月に鹿児島市のザピ工ル上陸記念碑の前で開催されているが)とでも呼ばれ、 日本人にもより馴染みの深い祭りとなっていただろう。
● 祭りの衣装 ●
 ニュース映像などでもお馴染みだが、上下白地の衣装に赤のネッカチーフと赤の腰巻をつけ、 さらに赤いベレー帽をかぶるのが、サン・フェルミン祭の正装である。

 この祭りにおけるスタイルは、ナバラ州を含むバスク特有のものだという話だが、その歴史や由来などに ついての知識は私にはない。
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 ただ赤と白のコントラストについては、一つ思い出すことがある。 それはバスクの古来の民家についてなのだが、とてもよく似たコントラストを見ることが できるのである。あくまでも古くからの形式を守る民家だが、 バスクの家には白の漆喰の壁と赤い外扉という、祭りの衣装と 同じコントラストが見られるのだ。

 あくまでも推測にすぎないのだが、家にしても衣装にしても その土地の風土とは大きな関わりがあるわけだから、 赤と白のコントラストはバスクの風土とマッチした、 バスク人の好む色彩なのかもしれない。
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 さすがにベレー帽をかぶってエンシエロを走る者は少ないが、この世界中に知られた帽子も、 もちろんバスク発祥のものなのである。
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 祭りの参加者でも、きっちりと正装をしているのはさすがに地元人だけだと思う。 白のTシャツとジーンズ姿に、ネッカチーフや腰巻をつけるようなスタイルの者が多い。

 白の上下の衣装は街の洋服店で1万ptsほどのものを見かけたが、 貧乏旅行者には手が出せなかったので、それが既製品なのか仕立てなのか分からなかった。 ネッカチーフなどは値段も安く、いいお土産にもなるので私も買ったが、ネッカチーフが300pts、 腰巻が500ptsほどだった。

 こういった祭りグッズを売る露店は街のあちこちに出ていて、それらの店先を のぞいて歩くのも楽しい。牛追いのイラストをプリントした白いTシャツ1000pts〜など も売られている。

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